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2008年06月17日
死刑執行、それってアナザー人殺し。でしょ。
今日、連続幼女殺人事件の宮﨑勤を含む3人の死刑が執行されました。日本が死刑を廃止していない国だということを私はうすうす知ってはいましたが、今日あらためてその事実に直面してしまいました。
宮﨑勤。その犯罪は決して許せるものではないけれど、許せない、ということと、死刑、ということは、ちがう。死刑はひとの命を奪うこと。どんな理由があっても、人が人を殺してはいけない。人が人を殺すことはいけないこと、子どもにもそう教えてきたし、たとえそれが国家だったからといっても、その原則は変わらない。国家も人間がやっていることなのだから。
世界も死刑廃止の方向に向かっています。犯罪抑止力にならないという理由で。なのに最近日本だけが死刑を連発。日本は他国とちがって死刑が抑止力になっている、という訳でもなさそうなのに。日本はいったいどうなってるの、という声も高くなってきました。
そこでふと思うこと。私が死刑をキモチ悪く思うのは、圧倒的な権力の快感に関係があると思うから。人を殺していい特権があるとしたらそれはどれほどの快感を人に与えるだろう、という恐ろしい想像をしてみてください。人よりも偉くなりたい、重用されたい、という欲望は誰にでもあるものだけど、世の中に「人を合法的に殺していい特権」というのがあったら、それは最強でしょう。手にしたら確かめるために使ってみたい、と思っちゃってもおかしくない。なんといっても人を殺めることは最大のタブー。困るのは、その禁断の特権に酔う人が出てきても、酔っていることが分からない、ということ。だってその職にある人は、死刑執行という「仕事をしている」だけ(恐っ)。さらにいくらでも言い訳は思いつきそうだし。自慢をするわけではありませんが、国家や大臣に宗教者のようなカリスマ性を感じない私は、民主主義下において、とても健全だと思うのです。国、大臣、しょせんニンゲン。一皮むけば普通の人、そしてそれがいいところ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。
だから、死刑という圧倒的な禁断の特権に加担することでヒロイックに酔うのではなく、冷静に「人殺しはよくないよ、たとえ国でも」とこまめに言い続けていこうと思う。いのちを大事だと思う感覚を少しでも麻痺させないためにも。死刑廃止を望む人がまだ2割という、この国の市民として。(でもほんとに2割しかいないなのかなぁ、もっと多いような気がするけどなぁ、気のせいなのかなぁ)
2008年06月17日 22:25

